先日『レイキ』の先生とお話(泣いて笑って握手して…を参照)してから、気持ちにかなりのゆとりが出来まして
必要とそうでないものの選択が出来るようになった気がします
昨日降ってきた(笑)言葉に
『人間に必要な能力ははぢめから備わっている。備わってない能力は必要ない』
って事でした
久しぶり降りましたね
(笑)
私が取得した『レイキ…靈氣』いわゆる『手当て』は本来誰でも持っている能力で、それに気づき、より有効に使う『知識』を得たのだと思うようになりました。
んぢゃ『
と会話が出来るようになる能力開発セミナー』に数ぢゅ~万円かけて行くか
ということになると、

と『人間の言葉』で話す能力はない=話す必要がない
って事なんだと。

と人間同士のように普通に話せたら楽しいかも知れません。病気の時にだってきちんと言ってくれるかもしれません。
でもね
人間は言葉を重視するあまり言葉だけを信じる傾向にあります。
『言ってくれなきゃわからない』
(コレまさしく今のnayoですな
)となってしまう。

…他の動物たちは真剣に私たちと向き合ってくれています。だから言葉はなくても
を見て、ナデナデして、コミュニケーションを取りなんとか『解ろう』と努力します。
その『解ろう』とする思いが必要であり、言葉がわかる能力は必要ないんだと
アロマテラピーとかホメオパシーとか
ごはんの栄養とかのお勉強は『知識』必要なものを習得すればいい。
その『言葉がわかるセミナー』を『能力開発』と取るか
『知識』と取るかはそれぞれの考えだと思います。
けど…この線引きが実は難しいんですよね











余談になりますが、『天使とつながる。神様とつながる。ご先祖様、守護霊とつながる』ってのは本来なんの能力も儀式もいらなくて、常につながっているものだし『力を貸して』とか『守って』と願い、祈ればさらに強く繋がるというものだと思います。
守られているからすべて上手くいく訳ではなく、そこに学びをさせるために『あえて転ばす』事もあるんだと
頭の中に
『すべての事には意味があり、すべての事は良い事につながっている』という言葉があれば、転ばされっ放しって事もないし、タダでは起きないっていう強い精神も生まれて来ます
限りある命をいかに『生き抜く』か
人間・
動物などの『種』としていかに充実させるかが今世の課題であるんだと…nayoは思います
『人間だもの』
神様ぢゃないんだもの…だから学べる楽しさがある
と書きながら、σ
自分に言い聞かせ(笑)



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