わたしたちはいつから、
“癒し”を誰かに預けるようになったんだろう?
疲れて帰ってきたとき
そっと寄り添ってくれる犬や猫たち。
そのぬくもりに癒されて「ありがとう」と思う反面、
ふとした瞬間に、こんな問いがよぎった。
「この癒し…彼らはちゃんと、吐き出せているのかな?」
🐕 動物たちの“自浄作用”が追いつかない世界に
かつての動物たちは、自然の中で自分自身を整える力を持っていました。
飼い主の負のエネルギーを受け取っても、
ひなたぼっこしたり、草の香りをかいだりして、
自然と整えていたんでち。
でも今の時代はどうでちか?
電磁波に囲まれ、都会の音にさらされ、
彼らの“自浄”のチャンスが減ってしまっている。
その結果、
飼い主がスッキリした分、ペットの体調が崩れる…
そんなケースもちゃこたんはたくさん見てきたんでち。
🌀「整う」って、じつは“共鳴”なんでち
整流の哲学では、人の整いが場を整えると言います。
でもそれは、人間だけに限ったことではない。
動物たちもまた、
わたしたちの整いに深く共鳴している存在。
だから、
「自分が癒されたいから動物を飼う」のではなく
「共に生きる命として、お互いに整える存在でありたい」
それが、整流的な“共生”のスタンスなんでち🌱
🫶 わたしたちは対等な“命のパートナー”
人間はつい、「飼っている」という感覚になりがちだけど、
ほんとうは、
ともに暮らす“命のチームメイト”。
命の重さに上下はない。
ただ役割が違うだけ。
動物は言葉ではなく、
空気、波動、しぐさで伝えてくれてる。
「いま、ちょっと苦しいよ」って。
だからこそ、
わたしたち人間がまず整うことが、
“共生の第一歩”になると、ちゃこたんは思ってるでち。
🌈 整流が目指す「癒される関係」から「整え合う関係」へ
癒されることは、もちろんしあわせなこと。
でも、それだけじゃなくて
**“整え合う関係”**を目指していきたいでち。
疲れて帰ったとき、
「ただいま」と言って愛犬を抱きしめるその瞬間に
「ありがとう」だけでなく
「今日は一緒に整えようね」と伝えられたら。
それだけで、動物たちの心も、スーッと軽くなるはずでち🐾
✨まとめ:共生とは、“整える力”を共有すること
-
動物たちは、癒しのための存在じゃない
-
人間と動物、それぞれに整う力がある
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共鳴しながら、整え合い、支え合って生きていく
そんな世界観が、整流が目指す
動物と人のほんとうの共生のカタチなんでち🌿
💬 ちゃこたんのひとこと🪽
「“癒された”と思ったら、“整えてくれてありがとう”って伝えてみてでち。
きっとその言葉が、あなたの大切な存在を癒してくれるから🕊️」
ちゃこたん、ありがとう
今日はなよさんちーんとなってて、ほとんどちゃこたんに任せてしまったこのブログ
でも動物からの言葉が詰まっていたね
“飼う”から”ともに暮らす”へ
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