「飼う」──
そんな言葉で表されるけれど、
ほんとうは、あの子たちの方が私たちを見抜いて、選んでくれているのかもしれない。
保護施設でも、ペットショップでも。
選んでいるのは人間だけじゃなくて、
彼らも、自分の使命をまっとうできる“家族”を、ちゃんと選んでやってくる。
まるで整流の契約みたいに。
人間同士は、言葉があるぶん、
「言ってくれなきゃわからない」とか
「ちゃんと説明して」ってなりがち。
でも、動物たちは言葉を持たない分、
**“感じようとする力”**が育つ。
「今、何をしてほしいのか」
「どんな気持ちなのか」
それを想像する力──**“思いやる想像力”**が、毎日の暮らしのなかで自然と育っていく。
それって実は、人間関係にもすごく大事な力なんだよね。
そして、彼らが教えてくれた最大のこと。
それは、“生き抜く”という姿勢。
病気になっても、年をとっても、
痛くても、苦しくても、
愚痴ひとつこぼさず、
今日をしっかりと生きている。
その背中は、黙っていても私たちに語っている。
「生きるって、整うって、こういうことだよ」
ただ“癒す存在”じゃない。
彼らは、整えの“師匠”だった。
わたしが人生に迷って、
どうしようもない気持ちで帰宅した時、
無言で寄り添ってくれたちゃこ。
ときには八つ当たりのように冷たくあたってしまったこともあった。
でも、彼女はその奥にある“本当のわたし”を見てくれていた。
どんな時も、彼らは
人間の中にあるピュアな“キラキラ”をちゃんと見ている。
その目を知った時、わたしは思った。
「この子に恥じない生き方をしたい」って。
飼うのではなく、ともに暮らす。
癒されるのではなく、整え合う。
動物たちは「整えの師匠」。
その瞳が見抜いた“キラキラの心”を、どうか、あなた自身も信じてあげてください。
ぢょんがいたから、動物と暮らす楽しさを知った。
ちゃこがいたから、わたしは整える道を歩みはじめた。
ぎんちがいたから、異種の愛おしさを知った。
リンダがいたから、命の終わりにも光があると知った。
トトがいたから、異性のあどけなさを知った。
ミニィがいるから、わたしはまだ、毎日笑っていられる。
なながいるから、また歩き出せる。
いっちがいるから、また猫の可愛さを知った。
トムがいるから、また異性の甘え方を知った。
みんな、わたしを整えてくれた“師匠”たち。
言葉はないけれど、命で教えてくれた。
「生きていいんだよ」って。
「そのままで愛されてるよ」って。
「整えば、ちゃんと歩けるよ」って。
飼うのではなく、ともに暮らす。
癒されるのではなく、整え合う。
整えてくれて、ほんとうにありがとう。
今日もあなたたちがいてくれて、
わたしはまた、ここから整って生きていける。
🕊️今日そばにいる命に、こう言ってみて。
「整えてくれて、ありがとう」って。
その言葉が、あなたの“整い”の第一歩になるかもしれないから🌿
最近のコメント