字が下手というか、自分の字が嫌いなのだ
きっと、硬筆はうまいほうだとは思うけど、嫌いなのだ
それが筆字となるともっと嫌い
習字は習っていて、5段を持っている。賞も何度も取った
でも自分の字が大嫌いなんだ
游書リーディングという“魂の書きおろし”をしているけれど、
コンプレックスの塊。
筆を手に取ると、
「もっと整った字を書かなくちゃ」
「壁に飾れるような、美しい作品を…」と力が入る。
でも、不思議とその瞬間、
言葉が降りてこなくなる。

メッセージが固まる。筆が止まる。
整流の波がスン…と消えるような感覚になる。
あたしが書けるのは、芸術作品じゃない。
誰かの魂の声を“ただ通す”だけの文字。
自動書記のように、
自分を空にして、感じたことをそのまま書きとめる。
それが、今のわたしの精いっぱい。
だけど、ある時言われた。
「秋元さんの言葉だから、感動するんです。
字の上手さなんて関係ないよ」

…それでもまだ、信じきれなかった。
自分の文字を見ると、やっぱり恥ずかしい。
卒倒しそうになる。
SNSに載せるのも、ためらってしまう。
でも──昨日のブログではっと気が付いた。
感じることは、説明できなくてもいい 〜“一字一句”ぢゃなく、“一瞬の共鳴”で伝わる世界へ〜整流哲学 | ワンズ・ハーツのこころ
“整っているもの”は、見た目ではなく、波動で伝わるということを。
たとえ形が崩れていても、
筆圧が不揃いでも、
墨がにじんでいても、
そこに“魂がこもっている”なら、
感じてくれる人には、ちゃんと届く。
游書は、整流の写し鏡。
整っていなければ、整った言葉は降りてこない。
だから今日も、
見た目ではなく“整った状態の自分”でいることを目指して。何事も取り組む

「下手でもいい」
「芸術じゃなくていい」
ただ、あなたの魂と共振することだけを言葉を書きたい。
今日も、
震えながらでも、コンプレックスを抱えながらでも、
一枚の紙と向き合ってくれる、全国の游書人へ。
整った心は、整った線となり、
整った波動として、ちゃんと届くから🖌️🌿







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