🩷 ピンクの光が降りた、あの日の神社

特別な人と、特別な神社へ、高額なツアーで行ったときのものじゃない。
ただの、
ぢょんとミニィとのいつものお散歩中。
その日は風が少しあって、木の葉が揺れていた。
旦那が何気なくカメラを向けて、シャッターを切った、ほんの数秒の出来事。
──あとでその写真を見たとき、
木々の間から差し込む光が
ピンク色になって、私のまわりにふわっと降りていた。
あれ?これ…
「見守られてるってこと?」
「なにか大きな存在が、ここにいたのかもしれない」
そう思ったら、何度も何度も、写真を見返してしまった。
✨ “特別”をお金で買う世界もあるけれど
最近は、
「○○と行く特別な神社ツアー」
「本殿奥の非公開エリアにご案内します」なんてうたい文句で、
何十万円もするようなスピリチュアル体験もある。
もちろん、それが誰かの“目覚め”につながったり、癒しになるなら、それはそれで尊い道かもしれない。
だけどあたしは、ちょっと違う考えを持っている。
もちろんあたしも神社仏閣は嫌いではない。いろんなところに行ってみたいとは思う
でもそれはパワーをもらいに、とか、禊を済ませにとかではない
ただ単純に建物やその辺の自然が好きなだけ
🌿 段ボールでも、祠になる。
例えば、部屋のすみっこにある段ボールに、
お気に入りの小石やお花を飾って、
その場所に毎日そっと手を合わせていたら──
きっと、八百万の神さまのどなたかが
その祈りに気づいて、そこにふっと宿ってくれるんじゃないかと思ってる。
“祈る”という行為は、
高級な場所や立派な儀式じゃなくて、
どんな気持ちで向き合うか──
その「想い」が、空間を“パワースポット”に変える。

🌸 目覚める力は、あなたの中にある
高額なセミナーで学ぶことも、
特別な場所に行くことも、
もちろん、それ自体は否定しない。
でもね──
ほんとうに大事なのは、
「自分の内側に宿っている“力”に気づくこと」。
誰かから「あなたは特別」と言われたときよりも、
自分の中から“なにか”が立ち上がってきたときの方が、
その気づきはずっと深く、強く、静かに沁みてくる。
目覚めとは、誰かに与えられるものじゃなくて、
ふとした瞬間に“自分で思い出す”ものなんだと思う。
💫 だから今日も、整流的に生きる
わたしは今、
神社に行かなくても、
誰かに「特別」と言われなくても──
ななちゃんとのお散歩で
近くの木々や空と、鳥さんのさえずり
そして小さな日々と。
それらと共に“整って”暮らす中で、
ちゃんと光とつながっていると感じられる。
あのピンクの光は、
「あなたは今、ちゃんとつながっているよ」って
見せてくれた証だったのかもしれない。
🕊️ あなたが祈るその場所は、きっともう“神域”なのかもしれない。
どこにいても、誰といても、
想いを向けたその瞬間、光はそこに降りる。
そして今日もきっと──
あなたのすぐそばに、見えないまなざしが優しく降り注いでる🌸

わたちに神様は宿ってるでちから、お賽銭ほしいでち
ほれ!お賽銭でち!







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