きゃっつ。
気が付けば来年の漢字も発表してない。
いつも『今年の漢字』発表時にあたしは来年の漢字を発表します。
2020年は『邁』まい進の邁でした~~~
でも世界中停滞でしたね。あたしも天中殺最後の年に結構ドカンと来ました。
いまだに決着つけることができずにいることもあり・・・
でも来年はいいらしい・・・ホントか?2020年も良かったはずだったけど。
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来年は【新】にします。
四柱推命のよっちゃんも2021スターとだよっていってくれたし、
ゲッターズもスターとだよっていってくれたし、
和・漢・洋・才! 語源のブログさんによれば
漢字で表音すると「シン」であるが、和語でいうと「あらた・あたら(しい)」・・・
漢字の方の語源は、「斤+木+辛」で、「音符(表音の符号となる字)の辛(シン)=刃物」、「斤(キン)=斧で木を伐る」だから、原義は「刃物で木を伐ってつくる薪(まき)」を意味する。
しかし、その後、「新しい切り口のさま」を意味するようになった。「木の切り口のみずみずしさ」、「色や香りの鮮やかさ」が感じられるほか、「森にあっては水を出す木もあり、薬効成分を出す木も存在する」ようなことから、「新しい・今までにない状況を生み出す力を持った」という意味が生まれ出た・・・
以上が、中国から渡来した漢字の成り立ちだが、これに比較すると、和語、すなわちもともとの日本語の語源は非常に難しく、今もって、「これが定説」というものがない。
その複雑な論考は、小学館発行の『日本語源大辞典』などに譲るとして、この「和・漢・洋・才 語源のブログ」の結論だけを申し述べると・・・
① もともとは「新玉(あらたま)」という「新年に大王に奉納する新しい勾玉(まがたま)」の制度があった。それは「枕詞」として残っているが(『古事記』)、その言葉から、「新(あら)たし=新(あたら)しい」とか、「改(あらた)む」という形容詞や動詞が派生して来た。上代、非常に古い古代においては、「新た」というのは「荒・粗(あら)」であり、「まだ身体の一部になじんでいない、生の、作りたての」というような意味合いだったのではないだろうか・・・
② この「新(あら)たし」が「新(あたら)し」に音転倒して変化したという説がある。もともとは「惜しい・もったいない」を意味する「あたらし」に「新しい」の意味が乗り移って音がひっくり返って出来た言葉で、「当(あ)たら」から来ていて、「そのものに相当し、値打ちがある・立派だ・優れている」を意味する連体詞のような働きをするという。「あたら、貴い命を粗末にして・・・」というように・・・
③ しかし、『古事記』において、「新玉(あらたま)」は「阿良多麻能(あらたまの)」と書き、「あたら」も「阿多良(あたら)」と表記する。ということは、両方とも、「新玉(あらたま)」 から来ているのではないだろうか。「荒・粗(あら)の玉」が「手の中で肌に当って、本当の玉に磨かれる」。また、「荒たへ」の「織り目の粗い、繊維のごわごわした着物」も、「手の肌に当て揉みほぐして行くうちに、着心地のいい着物」になる。大王に献上するには、そういう「手の込んだ作業」が必要だったのではないだろうか?!
④ そこから、「当(あ)つ」という行為があってこそ、単なる物質としての「荒・粗(あら)」が本当に人間にとって値打ちのある「新(あら)」になる。そこから、古代人は、「あらたし」という言葉を「新(あたら)し」に変化させたというようなことが考えられないだろうか・・・
今年の「新しい」はまだまだ「荒いし、粗雑である」。これを本当にいいものに仕上げるには、「人間ひとりひとりが新しいことを肌で感じ、本当に美しい玉、本当に着心地のいい着物」にしないといけない、ということだろう・・・
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