慈愛に満ちた日本だったはずが…

764602cc.jpg児童虐待のニュースに心が痛むnayoです。

暴力もいけない事ですが、餓死って何

1日、2日食事を与えなくても死なない。
でも餓死するって事は、長期に渡り食事を満足にさせてないって事でしょ
その衰弱している様子を間近で見ながら、自分たちは食事をしてるって事でしょ。

昔は本当に貧乏で、親が食べなくても、子供に食べさせていた。自分はいいからと先ずは子供の事を考えたものだ。

子供虐待や動物虐待、捨ての現状、昔は『相手の立場に立って』『自分が同じ事をされたら…』と行動を起こす前に一呼吸あったものではないか

犯罪者も犠牲者と言う言葉もある。

ようは、こう行った時代背景、教育現場、育った環境、輪廻が悪いから…彼らもまた犠牲者だと。

でも、それに巻き込まれたら負けだ。

自分が選んで生まれて来た『今の日本』。
人や環境のせいではなく、全うに生きて行こうではないか。

他人ごとではなく、自分の事として考えて行こうではないか。

生きている意味。生まれて来た意味。

動物だって意味はあるんだから。

あまりにも怒り心頭で支離滅裂な内容だスミマセン。

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2 件のコメント

  • なよさんの怒りが伝わってきて泣けました。
    私も虐待の連鎖を断ち切れずに、病気とは言え娘を育児放棄してしまった情けない母親なので…
    私は自分の罪を自覚し、これから贖罪の道を探して生きていきます。

  • 阿部まりあさん
    コメントありがとうございます。
    難しいですね。以前のブログに『子どもは親を選んで生まれて来る』というのを書きました。
    んぢゃ、虐待されるのをわかっていて何故に選ぶのか
    それは『親を助けるため』だと。
    病気を受け止めて、解決していこうとしてる阿部まりあさんは素敵ですよ。
    お子さんも、理解してくれてるぢゃないですか。
    罪を背負うだけではなく、その枷を今後の生き方で軽くするのも使命かもしれません。
    お子さんはちゃんと理解してくれているんだもの…前世は親子逆だったかもですよ。
    まずは病気を治されてから。

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