ちゃこの立ち上がれなくなった事件もそうですが、nayoの寝不足の原因は恩師の訃報でした。
nayoは高校を卒業後地元を離れ、札幌の『吉田学園 札幌経理専門学校』へ入学しました。
そこで出会ったのは初めて担任を持つ『五十嵐先生』という人でした。
今思えばたかが3つしか離れていない。
でもすごく大人に見えました。
初めての担任ということもあり、先生は本当に熱血指導の先生です。
すべてにおいて全力で生徒に向かってくれました。
学校をやめようと思った時も熱心に引き止めてくれたのも先生です。
私といつもココに登場してくれる『ジョウ』と『慶子ちゃん』と三人いつも先生にくっついていました。
二年になって担任を離れても、先生のそばにいたくて難しいゼミを選択したり、目指してもいないのに『税理士コース』の夜間学校に通ったり。
難しい検定試験をクリアし、先生の喜ぶ顔が見たくて必死に勉強しました。
彼が吉田学園の立ち上げをしたといっても過言ではありません。
先生がいなければ、今の『nayo』という人間は存在しなかったと言っていいほど、影響の受けた先生でした。
卒業後友達の結婚式で会った時も挨拶して生意気なことを言っても『おぉ~元気か?お前の言葉は本当に深いよ。重みがあるよ』なんて言ってくれて…
私にはそれが最後でした。
33歳のときにガンを発病したそうです。
ガンの中でも奇病でした。
そして、46歳で天国に旅立ちました。
結婚してお子さんもいて・・・本当に駆け抜けた人生だったと思います。
私はお通夜にはいけませんでしたが、ジョウが出席して報告してくれました。
『すごかったよぉ~教え子とか来てて、500人以上集まったんだよぉ~』と。
先生を慕って勉強した人は私たちだけではないと思いますが…
『最初のクラスが特別だ』と言っていたらしく・・・
その『特別な存在』の中に私も居れてよかったと。それが誇りであります。
先生には迷惑もかけたし、卒業してからも・・・心配をかけました。
今年クラス会があると聞いたとき、そんなに悪いと思わなかったので
『もし会えたらワンズ・ハーツの名刺を渡して、頑張っているんだ!夢が見つかったんだ!いい旦那さんにもめぐり会えたんだ!もう心配しないでね!』と言うつもりでした。
突然の訃報に力が入らなくなって・・・
でも、五十嵐先生が私たちに残してくれた吉田学園の魂は、みんなのココロに刻み込まれているよ。
46歳という早すぎる終焉だったけど、きっと先生はこの世での役目はもう果たされたんだと。
nayoはこれからも吉田学園の魂を胸にまい進していくからね。
はぢめてのあなたの生徒で私は幸せです。
安らかに・・・ありがとう。感謝しています。
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