昨日は他の人のブログを読みすぎまして…
なんてnayoは中途半端な人間なんだろうと…。
何も達成していない。どの分野においても『極めた』物はなくて…
皆さん、いろんな道で極めて自信をもってブログで紹介している。
そんな落ちているときに頭の中を流れた曲が昨日のブログネタ
『君の元気は僕の元気さ fight!』でした。
うちのが元気でいることが、nayoへのご褒美なんだと。
でも、落ちた気持ちは回復せず。なんと贅沢な悩みなんだろうね。
みんな元気なのにね…
で、今朝。4:00起きでございます。
でも遅刻ギリギリの出社なんですがね。
朝の用意をしていると今日のキーワードは『旅の途中』でした。

「自分の人生で起きる、あらゆる出来事はすべて自分自身のものだと自覚する」
だそうです
身の回りで起きる事柄は、他人のせいや周りのせいではなく・・・またもう少し早かったら・・・とか
どうして今?ではなくて、それは絶妙なタイミングで起こるべくして起こっていることだと。
「どんなことにも等しく価値がある」
恐怖や怒りや喜びなどに一喜一憂したとしても、悟りをひらいている人でさえもそれは感じることであり
『私たちの言う「受け入れる」とは、ギブアップして「この波動は私にとって真実では
ないけれど、まあ甘んじて受け入れよう、妥協しよう」ということではありません。
「受け入れる」とは、起きてくる全ての出来事を自分が本当の自分になっていく
道の一部ととらえ、ポジティブに利用していく、ということです。(中略)
つまり、まずは自分がいまその状況にあると認める。
そのような形で受け入れたとき、それは「我慢する」ということにもつながっていきます』
『私たちが言う「我慢する」とは、「ほんとはイヤだけど、自分にはどうしようもなさそうだから、
甘んじてその状況の中で我慢しよう」と無理やり自分を押さえつけることではありません。(中略)
自分が好む波動ではなくて、プロセスの一部なのだと受け入れ、認めたあと、
「いまの自分にはどう好転するか見えないけれども、その方向が真実の自分自身へ向かう方向であり、
必ずポジティブな意味があるのだと信じ続けよう、ふんばろう」という場合、これは忍耐、我慢です』
エイブラハム 引き寄せの法則より
他人をうらやむのではなく、きっと今このタイミングでこの状況でいろんなことを勉強させていただいているのは決して困難な課題を投げかけられているのではなく、そのほうが自分にとって一番いい学びの状況なのでは?と思いました…といいながらすぐに他人をうらやむnayoですが
動物を癒す、人を癒すお仕事をしたいと思うなら、自分がまず癒されないと。
人生もしくは魂の旅の途中で、経験において早い遅いはあるかもしれないけれど、いろんな経験を積みながら大海を目指す一滴の水。
その自分という水を浄化するために出会う人や動植物。出来事。
大事にしないとね…

最近のコメント