動物愛護に関していろいろと思うところがある。
facebookでは連日というか、5記事に1つは里親募集の記事だ。
旭川のあにまあるに限らず、全国にfacebookのお友達がいるので常に上がってくる。
5年以上前だったか、お友達と動物愛護に関してお話したことがあった。
ブログでも何度か話したことがあるのだが、過去に読んだ人はスルーしてほしい。
『動物を好きな人は、自分が犠牲になっても動物を救おうとする。1匹も2匹も同じって自分で受け皿になる。それがいつまで(何匹)続くかはわからないけれど、今の動物愛護システムは動物が好きな人が奔走して。辟易するの。時には言われもしないヤジや中傷に耐えられなくなってやめてしまう人もいる。』
その時の私は目の前にいる動物のことしか考えられず、お友達のこの意見にそんなに思いを寄せなかったのだが、『受け皿ばかりを探すのではなく元を絶たなければ。私はそっちの活動がしたい』数年前からは気持ちを切り替えた。
動物との出会いは愛護センターもそうだけど、ペットショップだって立派な出会いだと私は思う。
そういうと、叱られるかもしれないが、ぢょんもリンダもトトも保護犬猫だ。
ちゃことミニィはペットショップでの出会いだった。
これも本当に奇跡だから・・・ちゃこは私たちの人生を変えたのだから、そんな出会いも悪くない。
きちんとした生体販売の決まりを作り
単にペットショップが悪いのではなくて、飼っている人間がきちんと最後まで一緒に暮らせば、おのずと回転率が悪くなり、淘汰されていくのではと思う。
受け皿を探すのも立派なボランティア
だけど、元をただすのも立派なボランティアだと思う。
動物たちとの暮らしの素晴らしさを発信し、動物たちを飼い主の橋渡しをボディートークで行い、飼育放棄や多頭飼い崩壊前のカウンセリング、去勢避妊の理解などなどすぐに数字には表れないかもしれないけれど、同時にやっていかなくてはと思う。
ボランティアというとなんか身銭を切って、自分は必死に我慢して・・・というイメージもあるけれど。
ボランティアをするための時間を確保しなくては、カウンセリングは成り立たない。
動物たちのために必死で働いて投資するのもいいけれど、働かなくても自分たちの生活も成り立ち、空いた時間でカウンセリングなどのボランティアができれば。本当にそう思う。
ぎんち・ぢょん・ちゃこ・リンダ・トト・ミニィ
わたしたち家族の感動ネタはまだまだある。
彼らと一緒に暮らしていなければ、得られなかった人生を、救われなかった人生を。
まだまだ語らなくてはと思った。
基本は動物の為。自分たちの地位や派閥や流派は関係ない。
もっと手を組んで発信していこうではないか。
まずは『動物との共生の街 旭川』
市長の提言が待たれるところだ。
最近のコメント