さて、CBDオイルの話ばっかりでみなさんお腹いっぱいでしょ。
nayoさの最近のお話を。
nayoさ、3月からテニスをはじめまして。
いやね、あたしテニス女子なのですよ。
エースをねらえ世代
小学生から軟式テニスを暗くなるまで壁打ち。中学ではテニス部部長。
高校の時に間違ったな…硬式テニス部に行けばよかったのに帰宅部。
大人になってからサークルに入って硬式を少々。
末広のヒンギスとまで言われたのだけど(笑)すべて自己流で。
なんか死ぬまでに一度きっちりなにか習いたいな…と思ってテニスを。
20年ぶり。30年前のラケット持参でスクールに乗り込んで撃沈。
そんな撃沈ぶりに母が慰めてくれたって話
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何度かお話ししてますが、あたしは中学生から40歳近くまで反抗期でした。
今の若い世代の親子関係と違って、親に何か相談とかってこともなく。
友だちみたいな親子関係ではなく。
今思えば親も必死で仕事したりだったから、そんなに子供に向き合えなかったと思う。
中学生の時だったか、母親に
『あんたのその弁が立つのが嫌だ。口が達者なのが嫌だ。』って言われて。すごく傷ついたもんだった。
あと、結婚したのに子供がいないということに
『子供がいないと大変さがわからないから優しい人になれない』とも言われてて。
第一期結婚時代から子供作らない選択をしてきた自分は結構傷ついたもんだった。
40近くまで・・・あたしもいろいろ経験して、
【親も完璧ぢゃない】
という言葉に出会い、子供に対して自論を展開しつつ威厳を保つという役を演じる大変さを理解し親を許すことにしたんだ。
親も子供と一緒にスタートするんだから、間違いだってあるし、そこを『間違った。てへぺろ』ってことも昭和初期の親ならまず無理だし。自分もそう育てられてきたのだし。それは仕方のないことなんだろうなって。
あたしはまあ、親に迷惑かけてたこともあり、きっと正直信用はされていなかったのだと思う。褒められた記憶もないしな。。。
親は二人とも公務員だったし、民間に勤めた自分は、自分なりにこの親を越せないなとも思った。
子供がいないなりに必死で犬猫と暮らし、自然療法を勉強した。
あるとき母の兄が肝臓がんで医者に見捨てられたと。
自分が知りうる範囲で自然療法のことを教えてあげた。
もちろんあたしの言葉なので、母は半信半疑。
『そんなこと言ったって・・・』って言葉も言われた。
とある日、実家には自然療法の本がありましたとさ。
しかも3冊。自分用、あたし用、妹用。
『あんたの言った通りだった。教えてもらった通りのことが書いてあった。すごい勉強したんだね。』って。
褒められ慣れしていないアラフィフ女子は照れ臭かったのを覚えています。
それから、母はあたしの話をすごく聞くようになった。きちんと耳を傾けるようになった。
そんな時母は
『もうさ、自分も必死だったことがあったから、満足に子育てできなくて、後悔してる』みたいなことを言われて、今さら言われても困りますって言ったっけな~
おぢさんは残念ながら亡くなったのだけど、それから妹の病気とかもあって、今までなら西洋医学オンリーだった考えが違う方法もあるってわかってくれて。
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あたしは冷たいかもしれないけど、親の面倒みなきゃって言葉は好きではないのだ。
面倒を見たくなるような親になってほしいってずっと願っていた。
そうでなければこっちだって、生活があるのだしって。
でも、最近かーさんかわいいんですよ。ところどころ年だから記憶も薄れてきてるのかな・・・
『あんたはすごい!あんたは頑張ってる!あんな育て方しかできなかったのに、なんでこんなきちんとした子が育ったんだろ』って。
もっと小さい時にほめて育てられたら、紆余曲折もせずに済んだかもなのにな~~~と多少恨みつつ。
母の病院に付き添ったり、母の歩くスピードに合わせたりできるんです。
ゴッドクリーナーと温熱を毎月1回実家でやるのだけど、母の小さくなった体を触って『ありがとう』って心でつぶやくのです。
ものを取ってもらうときに出るありがとうではなくて。本気のありがとう・・・。
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で、最初の話。
テニススクールで撃沈して。その後に実家に寄って全然だめだった~って話をしたら
『何十年ぶりだもの。できなくて当たり前。あんたなら大丈夫。できるから。頑張る子だからね』
と慰められたアラフィフ女子の話でした。。。
きっとラケットが悪いと30年ぶりに新調
ゴルフなんて道具じゃない。腕だって・・・
とのたまったあたしを許せ・・・おに~ちゃん。
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