ななっちとお散歩するとすれ違う散歩中のワンコや野良猫、もちろんカラスやスズメさんたちに出会います。
話しかけてくる子もいるし、捨て台詞を吐いていく子もいます。
あ、あたし動物とお話しできることでお金をいただいております
ななっちだいぶ笑顔を見せるようになってきました。
ってか、笑顔なんですけどカメラ構えるとスンってなる
すべて動物の声をキャッチすることはないけれど、こちらから話しかけて意見を聞くこともあります。
今回は野良猫さん・・・ノラかどうかはわからないけど、ワイルドな猫さん
『死んだら悩みもなくなる。最高の解脱ぢゃないか』
話しかけた内容は『最近猫の家出事件があってさ~』って話。でもこの猫さんはあたしの悩みの部分をついてきた。こう見えても悩みは尽きないnayoです。
生きている以上みんないろんな悩みがあるんです。お金の悩みもそう、家族の悩みもそう、職場の悩みもそう、人間関係も・・・
でも悩みの発生原因の一つ(いや根本)に他人との比較があります。無意識に比較する場合もあります。世間一般の常識との比較も。
最近見たyoutubeに
『人間は弥生時代から狂ってきた』的なのがあって。
縄文時代には人と人との境がそんなになく、あなたのモノは私のモノ、逆もしかり
誰の子、彼の子ではなく集落みんなで育てた。みんなで協力して暮らしを営んでいた。
狩猟民族・・・男は狩りをして女は家で・・・というのも男女平等に反する!ではなくて『できること』をやっていた。とってきた肉は保存方法も乏しかったから、みんなに分けなくてはいけない。だから誰が獲ってきたとかまあそこには英雄みたいのもいたかもだけど、
貧富の差はなくて、みんなで協力してたのだと思う。
稲作が入ってくると、それは保存がきく食べ物なので蓄えを考えるようになった。このころから自分のモノと他人のモノの区別がだんだんとついてきた。蓄える倉庫もできて=富という意識もできたとのこと。
蔵を管理するものと稲作を作る人、管理者と労働者の関係はこんな時代から???
はぁ~~~
悩みって人間が自分と他人を区別するところから始まってんのよね…
話を戻しますw
悩みからの解放のために祈るの?宗教こえ~怖 ゲームを楽しもうぜ!と猫さん
猫『死んだら悩みはなくなるけど、ゲームも終わりさ。簡単にクリアしちゃうと楽しくないぜ!』
na『お外って楽しい?』
猫『そりゃ楽しいさ、でも危険もある。でも危険を攻略しないと楽しくもないんだ。もちろん外を知らない猫もいる。外を知らない奴らは知っている環境の中で楽しさを見つける』
na『深い』
猫『外を知らない奴らは知っている環境の中で楽しさを見つける。でもそこに悩みもある。外を知っている奴らは、なにそんなちっぽけな悩みにガタついてるんだ?って思う。俺らなんて自然を相手にしてるんだぜって。俺らの悩みに比べたらお前らなんて・・・って思う。でも俺らを見てる人間は家の中にいれば何不自由なく過ごせるのにって思う・・・その繰り返しさ。』
na『人間の悩みもちっぽけなって思う存在もいるってことだね』
猫『そう!でもみんな平等だ!死んだら悩みがなくなる。そして外部(魂だと思う)から中の世界を見たときにちっぽけだなって思うさ。そんなちっぽけな世界で精いっぱい生きるんだ。楽しみのために。その結果死があってもそれは本望。』
あたしは外猫賛成派なのだ。叱られるかもだけど。うちのリンダ・トトは外に出たがらないけど、もし外に出したなら絶対はない。戻ってくる保証はない。でも外で楽しんだ動物たちは外を知らない動物よりもきっと楽しい。家の中でだって事故が起こるかもしれない。絶対な安全はない。
それぞれのカテゴライズの中でそれぞれの楽しみ悩みがある
人間もゲームの設定を変えたら楽に生きられるのにな・・・なるほど!
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